むかしのおはなし(みくしの転載)

日記、すごく久々です。一年くらい、書いていない気がします。


眠れないので、「ヤス・ウラノ」さんというプロレスラーと、その人が一年半ほど前に所属していた「K-DOJO」という、ひとりのプロレスラー(あえて社長と書きます)が作ったプロレス団体のことを、書いてみようと思います。

最初に書いておきますが、今から書くウラノさんのことと、今の私には何の共通点もありませんので。
あと、何の資料も見ず、記憶だけを頼りに書いているので、記述内容の正誤についてはあんまり信頼しないほうがよろしいかと。


では。


十年ほど前、ウラノさんはプロレスラーになりたい大学生でした。
そのころ、K-DOJOは出来たばかりで、新人を募集していました。


ウラノさんはバイトを掛け持ちして資金を作り出し、K-DOJOに入門します。
入門したウラノさんは、プエルトリコという南アメリカの小さな島国に連れて行かれ、修行の日々が始まりました。


修行開始から一年ほどたった頃、同期のレスラーと二人きりで日本へ返され、K-DOJOの社長懇意の別団体に出稽古にだされました。
出稽古を重ね、曲がりなりにもプロレスラーらしくなってきたウラノさん。そこへK-DOJOが日本デビューとの知らせが入ります。


晴れの舞台、満員のお客様が見守る中、K-DOJOは日本で興行を開始しました。そのリング上にはウラノさんの姿もありました。



ここまで順調だったK-DOJOに、暗雲が立ち込めてきました。
いくら試合をしても、お客様がこなくなってしまったのです。


そこで社長は、団体を存続させるべく、自分が別団体に出てお金を稼ぎ、それを団体に還元することにしました。
社長はもともと有名なレスラーです。別団体からのオファーはひっきりなしにあり、社長はさまざまなリングに上がり、お金をたくさん用意し、団体を支えていました。


その間も、K-DOJOの所属選手は、少ないお客様の前で試合をしていました。
社長はその中にはいません。
別団体に出ているので、K-DOJOにまで手が回らない状況だったからです。



K-DOJOは試行錯誤を繰り返し、なんとかお客様に来てもらえるよう努力を続けていました。
しかし、客足は伸びません。


その後、いろいろな理由で、いろいろな選手がK-DOJOを去りました。


ウラノさんも、「別団体で自分の力を試したい」と、K-DOJOを去りました。




ウラノさんはフリーのプロレスラーになりました。
大学生時代に一緒にプロレスラーになることを夢見た仲間たちが所属する団体のリングに上がることにもなりました。
それ以外にも、いろいろな団体からオファーをもらえ、フリーとしてのウラノさんは、とても順調に歩んでいました。


そんなとき、ウラノさんが定期的に上がっていたリングに、K-DOJOの社長がゲスト参戦することになりました。
社長がリングに姿を見せたとき、いつもリング上ではニコニコしているウラノさんが血相を変えて社長につかみかかり、大乱闘を繰り広げました。



乱闘後、ウラノさんはコメントを残しました。
K-DOJOから外に出て、『K-DOJOの選手はもったいないね』と言われることが多くなった」
「自分の団体をほったらかしにして、社長はなにをやってるんだ」
「辞める時もいろいろ言ったのに、なんにも変わってない」
「フリーだから、こんなこと言える立場じゃないけど、もう二度とリング上で会いたくない」


これらのコメントは、今では公式的にはなかったことにされています。





ここまでが、先週末までにウラノさんの身に起こったことです。


なんていうか、これらの流れが「プロレス的仕掛け」だったらいいな、と思っています。
ウラノさんのコメントがリアルすぎて泣けてしまったので。
ほんとに『K-DOJOの選手はもったいない』んですよ。とってもプロレスが出来て、実際に別団体でゲストに出たらちゃんと結果だしてるのに、自分の団体にはお客さんが30人とかしか入らない日があったりして*1。チケット代が3000円だとしたら、儲けはいくら!?って感じなのです。



ウラノさんファンでもあり、K-DOJOファンでもある私としては、いろいろ考えさせられるわけです。



うーん…。





常磐 〜黎明の蒼〜」は、横浜から、こっそりと、怠惰に、まっすぐに、ヤスウラノさんを応援しています。


市原王/春草者後波落易巖成常磐尓座貴吾君/春草は後はうつろふ巌なす常盤にいませ尊き我が君

*1:昨日は200人以上のお客さんが入ってました!!やった!!!